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キルトの種類1

リンゼーウールゼーキルト
ホワイトキルト
型染めキルト
ピースドキルト
ロッグキャビンキルト
アーミッシュ・キルト
アップリケキルト
ボルチモア・アルバムキルト
キルトの種類2

ハワイアン・キルト
クレイジーキルト
ブライドキルト
アルバムキルト
メモリーキルト
クリブキルト
ドールキルト
ヨーヨーキルト
現代キルト

キルティングとは?
 表、芯、裏の3枚の布を一緒に重ねて刺し縫いすることをいい、これは布地を補強するばかりではなく、保温の役目も果たしています。芯には主に樹脂綿や羊毛キルト綿などが使われ、各層がずれないように表から装飾的な模様でステッチしていきます。

アメリカンキルトの起源
 1620年11月19日、清教徒を乗せたイギリスのメイフラワー号がアメリカに到着したのがアメリカンキルトの原点です。現在のキルトは、表、芯、裏の3枚の布を一緒に重ねて刺し縫いすることをいい、これは布地を補強するばかりでなく、保温の役目も果たしています。

 しかし最初のキルトは保温の目的のため必要最小限に作られたもので、決まったパターンもデザインもなく、布を大きくするための理由から小布をつなぎ合わせていました。当時はデザインを楽しむ余裕はありませんでしたが、つぎはぎのベッド掛けは貧しい生活を彩り、やさしいステッチは人々の心に灯をともし、生活への力を育みました。そしてキルトは、彼らの母国の生活背景と経験を生かして、まったく違った環境のアメリカ生活の中で、新しいパターンが確立されていったのです。

 ヨーロッパでも古くからキルトは作られましたが、アメリカにょうに、ほとんどの人が平均5、6枚のキルトを持っていたという普及ぶりを示し、独特の素晴らしいデザインを生み出して発展していったことは、他の国には見られない社会現象です。

キルトの種類
リンゼーウールゼーキルト(Linsey-woolsey Quilt)
 麻の縦糸とウールの横糸で織られた布地をリンゼーウールゼーといいます。この布地は、イギリスのサッフォーク地方のリンゼイで最初に作られたことから、この名前がつけられました。当時この布地は冬用のペチコートや外套などに使用されました。
  アメリカ初期の紡績は主に麻とウールだったので、このリンゼーウールゼーが織られ、ベッド掛けが作られました。このベッド掛けは1730年ごろから1830年ごろまでに作られ、植民地で作られた最も初期のベッド掛けで、重くて暖かく、特に寒さの厳しい北部で作られたのが特色です。
 
  織機の幅によって中央に縫い目のあるもの、または3枚つなぎにして幅を広くしたもの、小切れを合わせてパッチワークしたものなどがあります。色は主に藍で、赤、黄、茶色など天然染料で家庭で染めたものです。布地には光沢のあるものとないものがありますが、光沢はキルティングする前に、滑らかな石でこすって光らせたものです。これはウールやサージを着古すと光るのと同じことです。

 そのほか卵の白身と水を混ぜてブラシで塗り、乾いてから光沢を出す方法もありました。このキルトの芯にはすいた羊毛が薄く入れられ、ほとんどが驚くほど細かいステッチで、花柄や唐草模様のキルティングがされています。

ホワイトキルト(White Quilt)
 ホワイトキルトは、大きな布と取り組み、全体のステッチデザインで効果を出すので、仕事の量としては一番手のかかるベッド掛けです。多くはウェディングキルトとして作られ、18世紀の終わりから19世紀初めにかけて流行し、特に年や南部で人気がありました。

 ホワイトキルトにはパッチワークなしの表布、芯、裏布の3枚を合わせて念入りにキルティングだけしたものと、トラプントまたはスタッフドキルトといわれるものがあります。トラプントはイタリアで生まれ、イギリスを経てアメリカで作られるようになったもので、表布は上等の木綿で、裏布はざっくり織られた木綿または麻を使います。ベッド掛け全体にモチーフをステッチし、裏布の折り目からステッチした模様に面やコードを入れてふくらませ、更にモチーフとモチーフの間に細かいキルティングをして凹凸を鮮明に出したものです。部分的にこのテクニックを使うことをトラプント技法、またはバスリリーフといいます。
 
 そのほか白糸で刺繍したもの、白地の布でできたベッド掛けすべてをホワイトキルトといい、このなかにはキャンドルウイック、マルセイユなどがあります。キャンドルウイックとは、ろうそくの芯に使用する柔らかい木綿糸で図柄の凹凸を強調させて装飾をほどこしたもので、意図をループ状に刺繍したものと、ループ状にした糸端をカットしてふさふさにしたものの2種類があります。現在のシェニール織りのベッド掛けの前身です。

 マルセイユとは、キルティングしたように見える織り模様のある綿織物で、1760年マルセイユでこの織機が発明されたので、この名があります。 いずれも、1枚の布のままベッド掛けに使われましたが、マルセイユの布をアップリケに使用したり、部分的にキルティングされたものもあります。

型染めキルト(Stencil Quilt)
 型染めのベッド掛けのほとんどは1枚布で、夏用のものとして作られました。しかし、まれに型染めにそってキルティングされたものや、または小切れに型染めしてパッチワークをし、キルティングされたキルトも作られました。

 主に1820年ごろから1840年ごろまでに作られ、写真のキルトは、現在残っている型染めキルトとしては希少なものです。ニューイングランドで生まれた型染めは、布地にだけでなく、壁や家具、板張りの床などの装飾にも使われました。

ピースドキルト(Piesced Quilt)
  アメリカン・キルトのなかで最も多く作られたのが、このピースドキルトです。正式には、ピースドキルトベッドスプレッド(Pieced Quilt Bedspread)といい、幾何学模様デザインでパッチワークしたトップから作られたベッ掛けのことです。ピースドキルトは三角形、四角形、六角形、八角形、ダイヤモンド、分割円形など、直線または弧ではぎ合わせることの可能なピースで、ほとんどがブロック構成から成り立っています。

 1750年以前のアメリカのキルトは、アップリケはなく、ほとんどがこのピース度キルトであったといわれます。1755年ごろからキルトは比較的多く作られるようになりましたが、19世紀の初めまではヨーロッパの影響を受けた、中央からボーダー状に額縁で囲んでいくメダリオンスタイルが多く見られます。

 アメリカでキャリコが大量に、しかも安価に生産されるようになった1830年ごろからキルト作りは盛んになり、アメリカらしい名前の付いた幾何学模様のブロックパターンがたくさんできました。パターンは、市場に出た布地のバラエティに加えて、しだいに複雑になり、濃淡の使い分けで生まれる機能的デザイン、立体的デザイン、錯視デザインなど、1875年前後をピークとして最も多く作られ、テクニックも洗練され、万華鏡のように様々なパターンが生まれていきました。

ロッグキャビンキルト(Log Cabin Quilt)
 ロッグキャビンのロッグ(丸太、棒)を重ねていく建て方のイメージから生まれたパターンのキルトです。質実剛健、質素を旨とするパイオニアの女性にとって、このパターンほど小さな布地を有効に使い、美しいバリエーションを楽しめる無駄のないキルトはありませんでした。その上子のキルトは、土台の布に縫い付けていくので芯の必要もなく、またキルティングをしないので時間も省けることなどから、最も経済的な合理的アイデアのキルトです。

 ロッグキャビンはブロック配列の構成によりバラエティにとんだデザインを生み、その配列によって明暗(Light wnd Dark)、棟上げ(Barn Raising)、まっすぐの畝(Straight Furrow)、または光と影(Sunshine and Shadow)、裁判所の階段(Courthouse Steps)、稲光り(Streak of Lightning)、またはジグザグ(Zig-Zag)、パイナップル(Pineapple)、風車(Windmill)、四つの四角とダイヤモンド(Diamond with Four Square)など、パイオニアのにおいのする名前が付いています。

 これらのほかに葉巻を巻いたバンドで作られたもの、テープで作られたもの、ロッグのストライプの全部に名前が書き込まれているものなど、色彩の変化でデザインは無数にあり、名前が付いていないデザインもたくさんあります。

ロッグキャビンキルトは最初の輸入のウールで、次には手織りのホームスパンで作られ、ビクトリアン時代には絹、サテン、ファイユ、ベルベットなどでも作られました。一番小さな中心の四角は、家の支柱を象徴しています。中心が赤は煙突、暖炉を意味し、暖かさと生命力を表現し、黄色は明かりを意味し、明かりをともにして安全な帰宅と旅行者の歓迎をあらわしています。

 ロッグキャビンキルトほどアメリカ的性格を代表するパターンはないでしょう。最も人気のあったこのパターンからは、数多くのバリエーションが作られ、開拓精神、開拓者の生活様式の典型的な姿を充分に表現しています。東部から南部へ、そして西部へ移り、現在に至るまでアメリカ中で最も好まれているパターンです。

アーミッシュ・キルト(Amish Quilt)
  アメリカン・パッチワークキルトのなかで、ユニークな存在がアーミッシュ・キルトです。アーミッシュ・キルトとは、アーミッシュやメノナイトの人々の作るキルトのことで、ペンシルバニアのランカスター、オハイオやインディアナで現在も昔のままの伝統を守って作られています。アーミッシュとメノナイトは、ルーテル派とズィングル派の新教再組織から分かれて、スイスのズーリッヒで生まれた一派で、のちにドイツに移住しました。キリスト教と共同体に忠実である厳格な規則のある派で、リーダーのメノー・シモンズ(Menno Simons)の名前をとってメノナイトといわれ、メノナイトの一員ヤコブ・アマン(Jacob Amman)は、教会の純粋さを保つために、ほかのグループから離れて暮らすいっそう保守的な派を作りました。彼の名前から、この派の人たちのことをアーミッシュといいます。ライフスタイルは少し違いますが、メノナイトもアーミッシュも基本的信条は同じです。

 ドイツからの移民は、1683年から1775年の間にペンシルバニアに移住し、それぞれの信じるキリスト教徒によってグループ別に住みました。アーミッシュは現在も機械文明から遠ざかって暮らしています。電気、車、機械化された農機具、タイヤ、電話、テレビはもとより、ファッションを追うこともなく、装飾物は一切タブーです。しかし例外もあり、現在ではこの限りではないようです。

なぜアーミッシュの人たちは、このようにショックを与えるような美しいキルトを作ったのでしょうか。極度に規制された強い信仰生活を送るには、小さいときからの自己訓練が必要です。ほかの社会から閉ざされた生活の中で生き、個人の虚栄心を表現することもタブーで、洋服も最もシンプルなスタイルです。与えられた仕事を最大限に努力するのは当然のことであり、個人の誇りは仲間の間では認められません。しかし、ただ一つ例外がありました。それはキルトです。最大限に個人の誇りをあらわしていると思われる美しいアーミッシュ・キルトは、愛情を込めて注意深く用意された料理と同じように、1針1針丹精に作られ、心を込めて家族のために、友人のために贈られました。

 いかなる装飾もタブーな生活から生まれたためか、ほとんどが無地で、ブルー、グリーン、赤、ワイン色、紫などの派手な色合せのものと、反対に黒、茶色、濃いグレー、紺などの地味な色合せのものもあります。古いアーミッシュキルトは、ウールやリンゼーウールゼーが多く、木綿、ホームスパンなどええも必ず無地で作られました。

 アーミッシュのすんでいるペンシルバニアのランカスター地方を旅行すると、現在でも着ている洋服にアーミッシュキルトのなかの色を見つけることができます。濃いブルーの洋服にグリーンの前掛け、紫の洋服にブルーの前掛け、茶色に黒の前掛けをしている人たちが、サイロのある田園の路を歩いているを見ると、私たちの忘れかけている色彩感覚にハッとさせられます。派手な色は洋服には使われず、キルトのためだけの色彩だと聞いていましたが、ばら色の無地の洋服に真っ白の前掛けをしている少女が、三輪車で遊んでいました。馬車が行きかい、鶏が路に遊び、美しいキルトが干してある風景は、映画のセットを通っていくようです。

 田園のなかに小さく“キルト”と看板を出している家もあります。しかし現在売るために作られているキルトは、昔のキルトとはほど遠く、比較することができません。時間で計算すると格安ということになるのでしょうが、感激するようなキルトはありません。

アップリケキルト(Appliqke Quilt)
  アップリケキルトを大別すると、土台になる大きな布地をキャンバスのように使い、全体を一つのモチーフにまとめているものと、ブロックごとにアップリケをしてつなぎ合わせたものとがあります。
  古くからヨーロッパでも高価な布や上等な布は捨てがたく、刺繍のようにアップリケがされました。アメリカの初期のアップリケキルトには、このヨーロッパの影響を受けたスタイルが見受けられます。

  アップリケキルトができる前は、パランポアと呼ばれる裏なしの1枚布のベッド掛けがありました。パランポアとはインド語のベッド掛けのことで、ベッド掛け用に、一つの大きな図案を1枚の布全体にプリントした布のことをいいます。プリントのモチーフでは、永遠の生命のシンボルである生命の木が注目を集めました。

 この布はアメリカの市場向けに作られ、18世紀の終わりにインドやイギリスから輸入されました。輸入されたパランポアは効果でファッショナブルなものであったと同時に、人気集中のモチーフだったので、使い古したパランポアのプリントを切り抜いてアップリケしたり、このプリント柄に似た鳥や花などのさまざまな残り布を利用してアップリケをしたベッド掛けも作られました。

 このほか、古いアップリケキルトのスタイルには、ペルシア刺繍スタイルと、メダリオンスタイルがあります。フランスで生まれたペルシア刺繍スタイルは、チンツの花柄や鳥のプリントを切り抜いて土台の布に糊ではりつけ、乾いてから端を織り込みながらまつった方法が多く、細かいデザインも小さなプリントのモチーフどおりに、手の込んだアップリケがされました。

 メダリオンスタイルは、中心の大きいモチーフを額縁のように次々と囲みながら、切り抜いたチンツを自由にアレンジしてアップリケします。これらの方法からピースドブロックと切抜きチンツのアップリケを合わせたスタイルができ、ブロックアプリケへと変化していきました。アップリケのデザインは壁紙、絵本、影絵や型染めのパターン、カーペットなどから、また実際の花や葉などから、それぞれのインスピレーションによってデザインされました。

 ブロックのモチーフには花、かごの中の花、つぼに入れた花、花輪、、葉、羽根、建物、人物、鳥、果物などが多く、花ではシャロンのばら(Rose of Aharon)が最も多く、ばらはバリエーションも数多くあります。次に多い花は、愛の宣言、美しい目などの花言葉をもつチューリップです。花輪は、尊敬と名誉を表現するパターンとして人気がありました。建物では学校、人物ではサンボンネット・スー(Sunbonnet Sue)、オーバーオール・ビル(Overall Bill)、鳥では高さ、精神の高揚のシンボルであるイーグル(Eagle)が好まれ、特にメキシコ戦争、南北戦争のころに多く使われました。果物ではいちごやぶどうに人気があり、たくさん作られました。

ボルチモア・アルバム・キルト(Baltimore Album Quilt)
  アメリカン・キルトの特殊な存在として、1840年から1850年ごろにかけてボルチモアで作られたボルチモア・アルバムキルトがあります。特徴は、全部のブロックが豪華なアップリケでできていることです。

 現在のメリーランド州の首都ボルチモアは、1827年ボルチモアとオハイオ間に鉄道が敷かれ、西部移動への出発点となり、西部開発を助けると同時に、西部や北部へ南部の綿、たばこ、木材、麦、とうもろこし、石炭、鉄、銅などを輸送し、加工業も発達しました。地理的好条件と資源を得て貿易が栄え、このキルトができたころのボルチモアは、ヨーロッパ、西インド諸島、南アメリカ、インドなどと交易する国際貿易港となり、また沿岸のボストン、ニューヨーク、フィラルデルフィアと取引し、紡績、鉄などの産業を拡張して繁栄を極めました。貿易の最も栄えたファッショナブルなところだけに、美しいモチーフを日用品のなかから選び出すことは難しいことではなかったのでしょう。布地のプリントや壁紙、陶磁器など、身の回りのものから独特な美しいパターンを作り出しました。

 パターンは、建物、家具、銀器、汽車、船、旗、愛国的モチーフ、兵隊、ラブバード、ハート、花、花輪、花かご、果物かご、ギリシャ神話のゼウスに授乳したというやぎの角のコヌコピアなど多彩です。1815年、市の中央に建てられたジョージ・ワシントンの最初の記念碑も、キルトのモチーフによく使われています。1枚のブロック寸法は40×45センチぐらいで、このブロックつなぎで3メートルもある大きなキルトもあります。ブロックは数人の手によって作られたので、ぼる持ちア・アルバムキルトといいます。このエレガントなキルト作りには、教会の資金調達のための、キルティングビーも盛んに開かれました。

 美しい花のモチーフのなかに、宗教的モチーフや政治的関心をあらわしたものが使われています。ぼる持ちアは、プロテスタントの一派で聖書にしたがって厳格に生活するメソジスト派の発祥地で、1840年には人口の1割の人たちがメソジスト派に属し、キルトの宗教的な前の3分の1はメソジストに関係があるといわれています。

 技巧を凝らした複雑なパターンは、当時20人以上の熟練者たちによって作られたといわれています。それは同じデザインのブロックに残されたサインから推定されています。職業として作られたばかりでなく、デザインは材料をセットにして売られました。ボルチモア・アルバムキルトがほかのアップリケと違う点は、スタイルが独特であるばかりでなく、ほとんどがブライドキルトとして作られたことです。時代が証明され、特別に念を入れて作られたキルトといえます。

ハワイアン・キルト(Hawaiian Quilt)
  ハワイの人たちがムームーを着始めたのは1820年の春、ボストンの宣教師が布教のためにハワイに行ったときに始まります。一行は王族に迎えられましたが、当時ハワイの人たちは上半身が裸だったで、宣教師の夫人たちは裸でいることは罪であることを教えるとともに、ニューイングランドのキルトを教えました。

 最初はピースドキルトを教えましたが、暖かいハワイでは、ニューイングランドのように布地を集めて寒さを防ぐキルトを作る必要はありませんでした。また洋服を着なかったので残り布も無く、布地のバラエティもなかったので、ピースドキルトは広まらず、しだいに土地柄にふさわしい性格を出した、郷土色豊かなハワイアン・キルトが誕生しました。

 ハワイアン・キルト独特のこのパターンは、ある朝キルトを作るために白いシーツ地を草の上に干し、午後になって美しい花の咲いている気の枝の影がシーツの上にくっきりと影絵になっているのに感嘆し、赤い布地に影を映して切抜き、白地の布の上にアップリケしたのが始まりと伝えられています。

 古いハワイアン・キルトは、白地に赤でアップリケしたものが多く残っています。切り絵模様からできる対象模様を土台の布地にアップリケするこの手法は、幅の広い大きな布地の上一面にダイナミックなパターンが作られます。パターンは実際のパンの木、パパイアの葉、やしの葉、しだの葉、いちじくの葉、花などがそのまま使われました。動物や鳥のモチーフは縁起の悪いものとされ、ほとんどのパターンが植物からとったモチーフであることも特徴です。

 ハワイアン・キルトの名前には、アメリカのばら、ばらの花輪、5月のレイ、すずらん、日本のゆり、ゆりの星、カーネーション、太平洋のパール、ガーデンアイランド、ハイビスカスなど、郷土色豊かな名前がついています。ほとんどが無地の2色合わせで、数種の色彩を使った場合もほとんどが無地です。アップリケのパターンにそってキルティングしているのも独特なスタイルです。

初心者のハワイアンキルト製作日記

クレイジー・キルト(Qrazy Quilt)
  このキルトは、パズルのように不定形の布地のピースを、天竺やモスリン、木綿などの土台になる布人の上に刺繍でとめつけた、布地のコラージュです。センチメンタルなビクトリアン時代の代表的な形で、主にウールのひざ掛けに代わって大流行し、どこの家にもあったといわれています。部屋で使うひざ掛けのほか、馬車に乗ったときや椅子の背に掛けて、装飾用にも使われました。

 絹、ベルベット、ブロケード、サテン、ウール、木綿プリント、麻、絹リボン、ベルベットリボン、ウェディングドレスの小切れ、ネクタイなど思い出の布地をまぜて、チェーンステッチ、ボタンホールステッチ、ヘリンボーンステッチなどで小布のまわりを刺繍し、ピースの中心に花、鳥、ハート、くもの巣、蝶々、傘、人、扇などのモチーフが刺繍され、なかには油絵の具で小布の中心に絵が描いてあるもの、造花をとめつけてあるものもあります。なかでも扇はビクトリアン・クレイジーキルトの代表的なモチーフです。

 クレイジーキルトは、裏をつけてからキルティングはしないで、ところどころとじ縫いしてあるのが普通です。また刺繍のステッチや布地がバラエティに富んでいればいるほど、またピースの形が複雑で不定形であればあるほど、面白さが加わります。このキルトは多種の材料でまとめられたユニークな面白さはありますが、計算サレアシャープな面白さがなく、その点では手芸の域を出ていません。

1885年の雑誌ゴッディズ・レディス(Godey's Lady's)には、ブロック、布地、刺繍のパターンがキットで売り出されている広告が出ています。「J.L.Pattern、ニューヨーク市14丁目西38番地。クレイジーキルトパッチワーク。各種エレガントな絹のピース10枚入り。12インチブロック。図解入りステッチつき。35セント。蝶、無視、かぶと虫、くも、くもの巣、蛇、とかげ、ケート・グリーナウェイのスタイル画、花など35種の実物大大穴あき刺繍パターンつき。セットで60セント」 (Mildred Davison "American Quilt"より)

ブライドキルト(Bride Quilt)
  結婚のために作られたキルトをブライドキルトといいます。結婚するまでに12枚のキルトトップを作り、13枚目に作るのがブライドキルトです。最後の1枚として作るこのキルトに、すべての技術、情熱が注がれたのは当然のことでした。1755年から1850年ごろまでのブライドキルトの多くは、真っ白で最高の技術が使われ、注意深く念を入れて驚くほどの時間をかけて作られています。ブライドキルトは、花嫁が自分でデザインし、誰の助けも借りないで全部自分で仕上げたもの、花婿がアップリケパターンをデザインしたもの、友達が集まってブロックをプレゼントしたもの、自分が作ったトップに友達が愛のシンボルのハート、鳩、ラブバード、幸運のシンボルである卍模様など、いろいろな方法で作られました。人気を集めたパターンは、シャロンのバラです。

 婚約が決まってから作られたブライドキルトは、結婚の暇でホープチェストに大事にしまわれました。ブライドキルトで有名なのは、南北戦争で花婿が死亡し、未完のまま残っているキルトのトップです。ニューヨーク州プーキプシーで作られたこのキルトは、アップリケの芯紙に使用された新聞から、1858年から1863年までに作られたことが判明しています。花嫁のブロックの横には、フィアンセのアップリケが入れられるところだったのでしょう。喜びに満ちて作り始めた美しいアップリケも、キルトが完成されることも無くトップのまま残っています。

アルバムキルト(Album Quilt)
  アルバムキルトは、それぞれの人が自分で作ったブロックを持ち寄り、共同制作で作ったキルトです。それぞれが好みのブロックを持ち寄るので、ピースドブロックもアップリケブロックも混じっています。また一人で様々なブロックをつなぎ合わせたものもアルバムキルト、見本キルトといいます。

 名誉ある受取人のために作り、多くはそれぞれの製作者がインクや刺繍で、サインと年月日を入れています。なかには男性が作ったブロック、一人で全ブロックを作り友人たちが芯したもの、材料を友人たちから集め、製作者が材料提供者の名前をいれたものなどがあります。同じアルバムキルトに友情キルト、フリーダムキルト、見本キルト、署名キルト、贈呈キルト、記念キルト、引用文キルト、ファミリーアルバムキルトなどがあります。

メモリーキルト(Memory Quilt)
  メモリーキルトは亡くなった自分の家族や友人をしのんで、故人の洋服や大切にしていた思い出の布地で作ったキルトです。刺繍やインクで名前、死亡年月日が記されているものもあります。記録がのこっている 代表的なメモリーキルトは、ケンタッキーのフランクフォート歴史博物館にあるケンタッキーの棺、または、墓場キルトといわれているもので、ピースドブロックのル・モインの星とアップリケ、刺繍などでできています。

 このキルトは、中央に垣根をめぐらした墓地があり、家族が無くなったときにこの棺は中央の墓地に移されて、新たにアップリケがしなおされるというユニークなキルトです。このキルトは、製作者のエリザベス・ローズベリー・ミッチェルの孫娘が、ケンタッキーの歴史教会に寄付したものです。

そのときの彼女の記録に、
「祖母は1799年、ペンシルバニア州の西部で8人姉妹の2番目に生まれ、1817年に結婚しました。1830年ごろ、ペンシルバニア西部の家は5人の息子と2人の娘を持つ家族には狭くなってきたので、祖父はオハイオに農場を買いました。その農場に住む間に息子が生まれましたが、3歳のときに亡くなり、もう1人の息子もなくなりました。祖父の状況は豊かではありませんでしたが、よくなることもなく、近所の人と一緒にオハイオ川に近いケンタッキーの農場を買いました。このベッド掛けは、ケンタッキーに移る前にオハイオで埋葬された2人の若い息子たちの思い出のために、私の祖母が作ったものです。1838年、祖母はまた次の子供を身ごもったとき、友達と息子たちの墓参りのために、前に住んでいたオハイオの家を訪ねました。ケンタッキーに戻って子供を生み、このキルトを作り始めました。その子供が私の父です。祖母はオハイオに埋められている2人の息子たちの死を心から悲しんでいたのです。」
とあります。

 その他 のメモリーキルトには、忌中キルト(Mourning Quilt) 、喪に服している間に作られた未亡人キルト(Window Quilt)、などがあります。ほとんどが南北戦争時代に作られました。白、グレー、黒系統の布地で、ボーダーは黒、キルティングのパターンには十字架と墓、ハープ、しだれ柳などが多く使われたといわれています。

クリブキルト(Crib Quilt)
 クリブとは幼児用の枠付きベッドのこどえ、クリブキルトとは幼児用に作られた小さなサイズのキルトのことをいいます。開拓時代は経済的な理由で、子供は大人と一緒のベッドに、またはトランドルベッドに寝ていました。その後、家の中心に煙突、暖炉のある家になって広間が家の中心となり、2階、3階建ての大きな家ができ、一人一人の寝室ができました。時代とともに生活条件、社会条件が変わり、そのたびに子供のベッドも変わっていきました。

 アメリカで今も残っているクリブキルトは、19世紀末ごろまでに作られ、子供が作ったものもたくさんあります。現在と違って19世紀の子供たちは、大人と同じように働かなければなりませんでした。クリブキルトは、大きいサイズのキルトと比べてサイズが小さいためか、デザインの面白さとは別の、絵を見るような楽しみが加わります。

ドールキルト(Doll Quuilt)
  ドールキルトは人形用のベッド、ゆりかご、乳母車などのために母親が作ったり、子供たちの練習用として作られました。このキルトは作られた量がすくな片言、使用度が多かったことなどで、残っているものは少なく、現在は布地の絵として壁に掛けられ、貴重なキルトとなったので、探し出すのは容易なことではありません。子供の作ったキルトはブロックが曲がっていたり、初歩的なステッチですが、かえってそのつたなさがかわいらしさを増し、アメリカの19世紀の子供たちの生活を知る上でも、大切な資料となっています。

ヨーヨーキルト(Yo-Yo Quilt)
  ヨーヨーキルトは、円形にカットした布地の円周を縫い縮め、ギャザーを寄せた感じがヨーヨーに似ているのでこの名がつけられました。ヨーヨーキルトは夏用のベッド掛けで、ほかのキルトとは全く違う方法で作られ、一般には裏布も無く、キルティングもしていません。一つ一つのヨーヨーの接点をつなぎ合わせて作るベッド掛けで、残り布利用には最適です。

現代キルト(Contemporary Quilt)
  現在試みられている現代的手法、表現で作られたキルトのことを、現代キルトといいます。たとえば昔の伝統的な古パターンを使用したとしえも、その中に現代感覚を取り入れたもの、ブロックのアレンジメントに不協和音のようなアンバランスの美しさを感じるとしたら、それも現代のキルトデザインといえます。

 現代キルトは、機能的ハーモニーを感じさせる斬新なデザインで、創作性に満ちたかつて無かったスタイルで創作されたキルトのことをいいます。1964年、ニューヨークで「目の反応」という展覧会が開かれ、それ以来、錯視がオプアートとして、その幾何学的表現が美

術界に認識されるようになりました。

出展文献 「アメリカン・パッチワークキルト事典」 小林 恵 著


マグネットポシャギを作ってみましょう!
 

 

          

準備するもの
  ・モシ(カラムシ)
  ・ミョンシル(綿糸)
  ・綿
  ・マグネット(直径2〜3cm)
  ・針(四ノ二、キルト・パッチワーク針)    

       

@モシを3色程度選び、表布(2.5×2.5cm/4枚)裏布(4×4cm/1枚)をカットします。

 

A玉結びをします。(針に糸を2〜3回巻きつけ、その部分を指でつまんで下に降ろしてゆきます。

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B縫い代を5mm取り、裏表にして巻きかがり縫いします。

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C同じものが2つ出来たら、先ほどと同じように縫い代を5mm取り、
裏表にして巻き、かがり縫いをします。
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D表布と裏布それぞれに縫い代を5mm取り、表布(表)と裏布(表)を合わせて、その3方を巻きかが り縫いします。

E3方を縫い終わったら、綿・(後ろ布側に)マグネットをいれます。
(マグネットの片面に紙を張ると、布からマグネットが透けて見えず出来上がりが綺麗です。)

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F布を閉じます。玉止めをせずに、糸を布の中に2〜3回入れ込みます。
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G完成です!!
 
 
 

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